十一献金――繁栄の鍵

パート1

牧師ティム・アッカーマン

マラキ書3:6〜12

6/8/08

3:6 主であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。

3:7 あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。――万軍の主は仰せられる。――しかし、あなたがたは、『どのようにして、私たちは帰ろうか。』と言う。

3:8 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。

3:9 あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。

3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

3:11 わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。――万軍の主は仰せられる。――

3:12 すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。」と万軍の主は仰せられる。

 

1       お金。多くの人々がお金の心配をします。現代社会においては、お金は毎日の生活の中の一部分です。私たちは、みなそれを使い、必要としています。私たちの子どもたちですら、お金のことについては、小さいときから学んでいます。彼らはお店で何かを買うときには必要とするものであることを知っています。

2       お金は、結婚生活の中での、主な不一致ポイントのうちの一つでもあるようです。私の両親はよく口論していましたが、普通お金についてのことが多かったようです。家族の中での、よくある問題はお金の問題のようです。

3       お金にかかわることが信仰の中心のような信仰グループがあります。彼らは、神様の愛がお金で買えると教えているように思えます。あなたの天国への道がお金で買えると思っている人がいます。祈りの答がお金で買えると思うのです。仏壇の前や先祖のお墓にお金を置いて、亡くなった人たちが、霊の世界でお金を使えるかのごとくに考えるのです。

4       裕福な人々は、たくさんのお金を持ち、保持し、それを安全に保つことにお金を使うのです。

5       私たちはみんなお金のことに神経を使い、そのことが人生にとても影響を与えているので、神様はお金のことについてどう言っておられるかみんな知りた

いだろうと思います。私たちは聖書がお金についてどういっているかを知る必要があります。お金に関しての真の霊的原則を知る必要があります。

6       聖書におけるとても重要な財産に関しての教えの一つは、十一献金の問題です。

7       十一献金とは?簡単に言えば、あなたの収入の10%を教会に捧げ、あなたの霊的な養いと心配をしてもらうのです。

8       十一献金の中心的教えは、旧約聖書の中にあります。今日の教会では、それは旧約聖書の中でのことだから支払わなくて良いと言う人たちがいます。キリストの時代、恵みの律法の中に生きている私たちだから、私たちが望むように出せば良いと言うのです。

9       十一献金は本当に新約の時代の信仰者に当てはまるのでしょうか?十一献金を出すことは、旧約の律法のはっきりした一つではあるのですが、十一献金の原則はもともとモーセが初めではありません。モーセは旧約を守り、律法を与えた一人ではありますが、十一献金を出すことはもっと前の時代からのものです。

10 私たちは十一献金を出すことが旧約の中でのことと考えるのはその中でよく読むからですが、神様が最初に十一献金のことを言われたのは旧約の教えの中のモーセを通してのことではありません。もっと早い時代から神様とその人々との関係の中での教訓として、十一献金のことを見るのです。

11 聖書の中で、十一献金のことを最初に聞いたのは、アブラム(後アブラハムと呼ばれるのですが)がその時代の大祭司であるメルキゼデクへ、彼のもてるものの十分の一を与えているところです。

(創世記14:18−20)

14:18 また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。

14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。

14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

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十一献金は単なる慣習やモーセの命令ではなく、初期の時代から力こめて神様からの要求であることを見ます。 神様は私たちに十一を要求されているのです。(レビ273032

27:30 こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。

 27:32 牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。

マラキ3:8

3:8 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。

13 イエス・キリストの十字架上の死と復活は、新しい契約の始まりであり多くのことが変化しました。しかし、何もそこでは起こりませんでしたー復活に続くことや、キリストが大祭司としての心踊るようなことなどーけれどもどのような方法ででも十一献金が取り消されたり変化してはいないのです。

14 実際、そのことを確立したのです。キリストの復活の結果として、キリストはメルキゼデク以降の大祭司となったのです。メルキゼデクはアブラムから十一献金を受けていた大祭司でした。

15 私たちはイエス様が属する祭司の時代を見るのですが−メルキゼデクの命令で−十一献金を受け取っていました。イエス様は大祭司として、今日も十一献金を期待し、受け取られるのです。

16 では、なぜ十一献金をするべきなのでしょうか?6つの理由を述べてみましょう。(1)理由の一つは、神様が要求されるのは、十一献金は主のものであると。レビ記27章とマラキ3章を読むと、あなたの収入の10%は神様のものだということです。神様に差し上げないことは、神様のものを盗むことになるというのです。このためだけでも十一献金をするべきですが、あと五つの理由を挙げましょう。

17 (2)理由の二番目は、十一献金は神様への礼拝の一つの形であるということです。十一献金は、全てを創られ所有しておられる方を認め礼拝するものです。礼拝とは、命じられた形で神様を認めるため持てるものを何かさしあげるようなことを伴うものです。

18 もし、わたしたちがお金を持って神様への礼拝をしないのであれば、神様を本当には礼拝していないのです。神様を愛しているどんなクリスチャンでも、神様へは全て差し上げたいと願うものです。私たちは十一どころかもっと差し上げることができるし差し上げるべきです。十一はスタートであり、それが最高限界ではないのです。実際神様は、差し上げることのできる可能性があるもの以上を受ける価値あるお方です。イエス・キリストは、私たちにその命を与えてくださり、わたしたちの為に救いを買い取ってくださったのです。神様は、私たちにもしほんとうに神を愛するのであれば、神に従い礼拝するようにと期待されているのです。私たちは、お金を含む全ての領域で神様に従い、礼拝するべきなのです。

19 (3)三番目の理由は、十一献金は神様の働きをそれが支えることになるからです。旧約聖書では、十一献金は宮にいる祭司を支えていました。また、宮の維持にも使われていました。そして、十一献金は貧しい人やお腹のすいた人々を養うためにも使われるべきものでした。

20 十一献金は、今日基本的には、同じように支払われるべきです。牧師や教会の維持のために使われるべきでしょう。人々を養うためにも使われるべきでしょう。これには二つの意味があると思います。ひとつは、貧しい教会のメンバーを助けるためです。霊的な意味合いでもあります。お金は、霊的に人々を養うために使われるべきものです。聖書の学びを提供するために使われたり、宣教的な集会、トラクト、本、ビデオ、テープなど、そして神様を知るようになり、より霊的に成長することができるような手助けをする効果的なあらゆる方法のためにも使われるべきです。

 

(4)四番目の理由は、もしそうすれば祝福されると約束されているのです。(マラキ3:10,11)3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。3:11 わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。――万軍の主は仰せられる。――

神様は、あなたへの天への窓を開き、溢れんばかりの祝福を約束してくださっているのです。受け入れる余地のないほどの祝福をやると言われるのです。それは、あなたが非常な金持ちになると言うことを意味しているわけではないのです。富は、人々を堕落させる傾向があり、それをうまく操ることのできる人は少ないのです。その意味していることは、あなたの必要としているよりずっと多くのものを受けるだろうということです。しかし、祝福はそこではとまりません。11節まで続きます。そこでは、神様はあなたのために食い尽くすものをしかると言われます。なぜ神様はそのようなことを必要とされるのですか?9節を読んでみましょう。(マラキ3:9)3:9 あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。

もし、あなたが神様に十一献金をしていなければ、あなたの上に呪いが来るというものです。

 

聖書では、運がいいとか悪いとかの言葉はありません。そのようなことはないのです。しかし、祝福と呪いという事はあります。もし、あなたが十一献金神様に対してしなければ、あなたの財産に呪いが来るのです。この意味は、11節に説明してあります。あなたが神様へ支払わねばならない十一以上のものを失うという意味です。昇給がなかったり、昇進しなかったりするかもしれないのです。よりよい仕事が見つからないかもしれないのです。あなたの仕事があまり利益を生まないかもしれないのです。車の問題が出てくるかもしれませんし、体の問題やお金を必要とするもっと他の問題や間違いを犯すかもしれないのです。むさぼるもの、サタンがあなたが神様に差し上げるべきもの以上に持っていってしまうのです。神様への10%を差し控えることで、それを自分のことに使えるように思うのです。しかし、実際は、あなたはそれを失いもしくはそれ以上を失うのです。クリスチャンということは、あなたは神様の子どもなのです。神さまは、その子どもたちに多くの祝福をお持ちなのです。しかし、もし神様のものを神様へ差し上げなかったら、むさぼるものがあなたからそれを取り去るのです。彼はあなたから、神様があなたにあげたいと思っておられる祝福を妨害し阻止することが可能なのです。しかし、もし神様への十一献金を盗んでいることを悔い改めれば、神様は私たちを非常に祝福しむさぼるものを叱責されるのです。私たちは、祝福を受け取るのです。箴言3:9,10

3:9 あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。

 3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

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 (5)理由5は、十一献金は神様が私たちの根源だということを継続して思い出させるものです。十一献金は私たちと私たちの持てる全ての主であられる方だということをはっきりした形で知らしめるものです。神様がそれに値するお方だということを認めるものです。

25イエス・キリストを受け入れるものであれば誰でも、神様をあるがままの形で受け入れるべきです。神様は、主であり、救い主であり、養い主であられます。はっきりしているのは、クリスチャンというのは、イエス・キリストに属するものであるということです。その方が主であり、救い主であり、養い主であられるために、その方を受け入れたとき、その方は私たちの人生の中において主になり、救い主になり、養い主になられるのです。私たちの人生の主として、イエス様は私たちのお金の10%だけではなくすべて使ってすることについてハッキリと言われるのです。イエス様が主であられることについて異議を述べ立てたり、収入の10%を奉げなかったりする者は、真理に直面し、罪に直面しなければならないのです。お金が彼らを縛るものとなり神となって、イエス様が主とならない罪に直面するのです。

26どちらをよりあなたは信頼するでしょうか?

 (6)理由の6番目は、十一献金が自己中心や貪欲、物質主義に対抗する助けをするものになるのです。いつもまず十分の一を捧げることで、どのような収入を受けても、私たちがこのような罠にはまることから守ってくれるのです。信仰を持ってなし、十一献金をもって神様を信頼し、神様に頼るようにさせてくれるものなのです。

27これで、2パートのうちの1パートの説教を終わります。622日には例といくつかの実際的な運用の説明を続けてしたいと思います。神様はあなたを愛しておられます。神様はあなたを祝福したいと願っておられます。あなたから呪いを取り除きたいと願っておられますし、あなたからむさぼるものを責め立てようと願っておられます。もし、あなたが神様に従い、神様が建て上げられた霊的原則を守るならです。

28祈り:天のお父様、聖書を通して今朝、御言葉をありがとうございます。あなたは現実の律法や原則と同じように霊的な原則と律法を建て上げてくださっていることを感謝いたします。これらの律法は従うべきものであり、そうでなければ否定的な結果を招くものです。私たちは従いたいと思っています。私たちみんなが理解しあなたの霊的律法と原則を私たちの人生に当てはめることができるように助けてください。この原則のうちの一つが十一献金です。私たちは自分自身と私たちの財産を捧げる必要があることを理解しました。十一献金のことに関するあなたの言葉に、私たちの心と想いを開くことができるように助けてください。あなたの言葉とあなたの原則に従うことができるように助けてください。そうして、呪いが取り除かれ、私たちの人生と財産が祝福されますように。仕事を持っていない人達のために祈ります、あなたの望まれる仕事が彼らに示され、彼らの財産をもってあなたを礼拝することができ、祝福されますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン